歌人プロフィール
天皇
言わずと知れた権力者の最高峰だが、ここでは幸不幸の生い立ちは二分されており、天皇だからこその数奇な運命を辿るのもこの身分の宿命とも言える。
1
天智天皇
(中大兄皇子)
秋の田の仮庵の庵の
苫をあらみ
わが衣手は
露にぬれつつ
秋の田の刈り入れ小屋は ぼろぼろで
わたしの袖は濡れっぱなしさ
秋の風景を視覚的に描いた一句
エピソード
当時心変わりを疑われて送った歌。
大化の改新の立役者
皇太子時代に大化の改新を行った、中大兄皇子で知られる第38代天皇。天皇でありながら質素倹約を旨として、人民に歩み寄る聖帝として崇められた。
- ◆享年:
- 45歳
- ◆天皇任期期間:
- 42歳から4年間
- ◆出来事:
- 大化の改新
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし
2
持統天皇
春過ぎて
夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
春すぎて 夏来たみたい 真っ白な
衣干すのね 雨のかぐ山
神秘的な山の風景に夏の訪れを見る一句
エピソード
即位後、遷都した藤原京から香具山を眺めて詠んだ歌。
当時からすれば当たり前の景色だが、平和であることの証明でもある。
史上3番目の女性天皇
1番目の娘でもある持統天皇は史上3人目の女性天皇。 天皇の中でも長く生きた天皇として有名。天武天皇の皇后でもあり、つまりはおじさんと結婚している。夫と共に壬申の乱を戦い、天皇でもあった夫の死後、自ら即位した。
- ◆享年:
- 57歳
- ◆天皇任期期間:
- 42歳から4年間
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし
13
陽成院
筑波嶺の
峰よりおつる みなの川
恋ぞつもりて
淵となりぬる
筑波嶺の
峰から落ちる 女男川
恋は積もって
淵になります
溢れる恋心を積もり積もった深い淵に例える
エピソード
当時ライバル関係にあった光孝天皇の皇女である綏子内親王へ送った歌とされる。ちなみにその恋は成就している。
暴君天皇
清和天皇と藤原高子の第一皇子。気性が荒く、奇行が多かった。当時の関白藤原基経のボイコットまであったほど。殺人事件まで犯してしまい,9歳から17歳の短い任期となった。その後も悪行は続いたとしている。
- ◆享年:
- 80歳
- ◆天皇任期期間:
- 9歳から8年間
- ◆出来事:
- 藤原勢の政治、相模武蔵地震
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- 1首
15
光孝天皇
君がため
春の野に出でて 若菜つむ
我が衣手に
雪はふりつつ
君のため
春の野に出て 若菜摘む
私の袖に
雪はたっぷり
相手の健康を願い若菜を積む、慈愛に満ちた歌
エピソード
摘んだ若菜を、今でいうお歳暮感覚で親しい人に贈り、その際に和歌を添える風習があります。
この歌もその過程で生まれました。
温和無欲・勉強熱心
陽成天皇(13番)の次の天皇で、晩年での即位だった。。穏和無欲、、勉強熱心。親王時代が長く、50代で漸くなった天皇も4年しか続かず、作者にとって不遇な時代が続いた。
- ◆享年:
- 57歳
- ◆天皇任期期間:
- 54歳から3年間
- ◆出来事:
- 仁和寺建立、仁和地震
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし
68
三条天皇
心にも
あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな
生きたいと
思わずこのまま 生きてけば
いつかは思い出
夜半のこの月
天皇のプライドと諦めの美学の歌
エピソード
三条天皇が天皇を務めている間で、退位を決意した時。
ふと見上げた月の明るさに詠んだとされている。
短命の幸薄天皇
冷泉天皇第二皇子として生まれる。皇太子歴25年を経て即位されるが、在位中に眼病を煩ったり、内裏が炎上したりするなど不幸が続いた。一説には陰謀論も囁かれた。退位して程なく出家し、42歳の若さで亡くなっている。
- ◆享年:
- 42歳
- ◆天皇任期期間:
- 35歳から5年間
- ◆出来事:
- 拾遺和歌集成立
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし
77
崇徳院
瀬をはやみ
岩にせかるる 滝川の
われても末に
逢はむとぞ思ふ
流れ落ち
岩に砕ける 滝川さ
別れはしても
最後はまた逢う
歌人の抑えきれないほとばしる恋の歌
エピソード
崇徳院自身が作り上げた百首の歌をまとめた「久安百首」の内一首。
恋の歌ではなく、自らの悲劇的運命への抵抗心の表れとされる。
怨霊になった天皇
鳥羽天皇の第一皇子だが、別の女性との間の不義の子ではないかとされていたこともあり、実の父から愛されず 育った幼少期を送る。保元の乱の中心的人物でもあり、 その乱で敗北した。詞花和歌集作成を命じた人。
- ◆享年:
- 45歳
- ◆天皇任期期間:
- 4歳から19年間
- ◆出来事:
- 白河法皇、鳥羽上皇の院政
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 24首
99
後鳥羽院
人もをし
人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに
もの思ふ身は
人は好き
人は嫌いさ 世の中を
いやだと思えば
またもの思う
表裏一体の愛と憎しみを歌った一句
エピソード
歌は33歳で読んだとされ、政権を握っていた時。
裏切りが起きる(承久の乱)9年前に歌われた。
敗れ去る悲劇の天皇
菊花紋の産みの親。平家討伐中の異常事態の最中即位する。その影響で、しきたりや前天皇との即位期間の重複等様々なイレギュラーが発生するため、何かとケチをつけられた。承久の乱後、41歳時に隠岐に島流しとなる。
- ◆享年:
- 82歳
- ◆天皇任期期間:
- 3歳から15年間
- ◆出来事:
- 平氏討伐、承久の乱
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし
100
順徳院
百敷や
古き軒端の しのぶにも
なほあまりある
昔なりけり
宮中の
古い軒端に 忍草
遠い昔は
なおなお遠い
朝廷が栄えていた、古き良き時代を思う
エピソード
寂しい歌の内容には似合わない、20歳という若さで読んだ歌。
華やかだった醍醐天皇時代に想いを馳せて詠んだとされる。
流人となる天皇
後鳥羽天皇(99番)の第一皇子で、父親に負けず劣らずの勝ち気な性格で政治、和歌、漢詩と熱心に取り組む。承久の乱後,敗れ去る父親と共に佐渡に流され、島に22年住み、そのまま亡くなるという悲劇っぷり。
- ◆享年:
- 84歳
- ◆天皇任期期間:
- 14歳から11年間
- ◆出来事:
- 承久の乱
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- なし