歌人プロフィール

僧侶

僧侶としては身分は一つだが、寺に努めた僧侶や隠遁生活を送った僧侶など様々な形態があり、色々な事情や悩みで出家したというもと菅人も多くいる。

8

きせんほうし

喜撰法師

我が庵は
都のたつみ しかぞすむ
世を宇治山と
人はいふなり

俺の家
都の東南 住んでます
名前はしかし
宇治山だってさ

自分と世間のギャップに苦笑している歌

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エピソード
自己紹介のような和歌の通り、彼が宇治山に住んでいた頃に読まれたとされる。

宇治山の仙人

詳しいことが謎に包まれた歌人。作品も非常に少ないにも関わらず36歌仙に選ばれていることもまた謎めいた人物。京都山城国に生まれ、出家後に醍醐山にに入ったとされ、その後宇治山・三室寺の奥に居を構えた。

◆享年:
不明
◆特色:
隠遁僧
◆出家時の年齢:
不明
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
なし
喜撰法師

10

せみまる

蝉丸

これやこの
行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも
逢坂の関

これかいな
行くやつ帰るの 別れるやつ
知るのも知らぬも逢う
坂の関

行き交う旅人をリズミカルに無情に表現する

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エピソード
歌の内容から京都と滋賀の間の関所で読まれたとされる。
この時期の別の作品からもまだ見えていたことが分かる。

盲目の琵琶手

盲目で琵琶の名手、逢坂の関のほとりにすむ隠者(浮世離れした人)でもある。敦実親王に使える召使いだった説、実は醍醐天皇の第4皇子だった説もあり、謎の多い人物とされる。出家前の僧正遍昭(12番)の琴の師匠だった説は一番有力とされる。

◆享年:
不明
◆特色:
隠遁僧
◆出家時の年齢:
不明
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
5首
蝉丸

12

よしみねのむねさだ

良岑宗貞

そうじょうへんじょう

(僧正遍昭)

天津風
雲の通ひ路 吹きとぢよ
をとめの姿
しばしとどめむ

空の風
雲の行く道 とめちゃいな
天津乙女を
もっと見てたい

舞姫を天女に喩えたメルヘンチックな歌

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エピソード
出家する別れの際に設けられた宴の中、
5人の舞姫を見て読んだとされる。

出家した元官人

もともと官人、近衛中将として宮中に出仕していたが、仁明天皇崩御の影響で出家をした。その前後で情感あふれるものから客観的な詩風へと、作風は大きく変わった。色男で異性にモテモテだったとされる。素性法師(21番)のお父さんでもある。

◆享年:
74歳
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
35歳
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
35首
良岑宗貞

21

よしみねはるとし

良岑玄利

そせいほうし

(素性法師)

今来むと
いひしばかりに 長月の
有明の月を
待ち出でつるかな

「今行く」と
言われたおかげで 九月の
有明の月を
待ちぼうけかな

あてに出来ない約束に呆れる女性の気持ちを歌う

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エピソード
男性である作者が女性に扮して歌うこの作品。
「性別なりきり歌」は百人一首内にもよく見られる手法。

桓武天皇の曾孫

桓武天皇の曾孫。もともと上級官人として出仕していたが、父宗貞(12番)に倣えとの宮中からのアドバイスで形式上出家する。出家後も政治、和歌や書道などの会合は参加した。雲林院の別当(管理人)になったのち、大和の「良因院」に移る。

◆享年:
不明
◆特色:
お勤め僧
◆出家時の年齢:
幼少期とされる
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
61首
良岑玄利

47

えけいほうし

恵慶法師

八重むぐら
しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね
秋はきにけり

雑草が
茂った家の 寂しささ
人には見えず
秋は来ちゃった

寂寥感あふれる秋の訪れを歌う

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エピソード
「荒れた宿に秋がきた」というお題で読まれた歌。
訪れた寺は源融(14番)の荒廃したかつての栄華を極めたお屋敷。

無頼派の詩人

播磨国(兵庫県南西部)の寺に僧侶達の監督として務めた僧とされている。清原元輔(42番)、大仲臣能宣、平兼盛 (40番)らの一流歌人と親交を結んでいた。

◆享年:
不明
◆特色:
お勤め僧
◆出家時の年齢:
不明
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
55首
恵慶法師

びょうどういんだいそうじょう

平等院大僧正

さきのだいそうじょうぎょうそん

(前大僧正行尊)

もろともに
あはれと思へ 山桜
花よりほかに
知る人もなし

一緒にさ
感動しようよ 山桜
花のほかには
誰もいないし

孤独な山伏が孤独の花に自身と重ねて詠む

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エピソード
修験道が盛んな大峰山の山中で孤独な修行中に出会った山桜に感動して詠んだとされる。

祈祷術で評判の僧侶

三条院(68番)の曾孫にあたる人物。崇福寺円勝寺天王寺の僧侶として活躍した。10歳で父親と死別した2年後出家し、三井寺に入った。加持祈祷に長け霊験を表したとされている。公家からの信頼も厚かった。

◆享年:
不明
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
12歳
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
48首
平等院大僧正

69

たちばなながやす

橘永愷

のういんほうし

(能因法師)

あらし吹く
三室の山の もみぢ葉は
龍田の川の
にしきなりけり

嵐だよ
三室の山の紅葉 ああ
見れば竜田の
川は錦だ

紅葉が織りなす自然美を歌う一句

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エピソード
後冷泉天皇が開催した歌合にて「紅葉」のお題で読まれた。

元祖聖地巡礼者

文章生(大学生)であったが16歳で出家。歌枕オタクで、全国の歌枕の聖地巡礼をした漂白の歌人。隠棲の地は摂津国古曽部(現在の大阪)だったとされる。

◆享年:
不明
◆特色:
放浪の僧侶
◆出家時の年齢:
16歳
◆作品:
家集、歌学書 他
◆勅撰和歌数:
67首
橘永愷

70

りょうぜんほうし

良暹法師

寂しさに
宿を立ち出でて ながむれば
いづこもおなじ
秋の夕暮

さびしさに
三室の山の紅葉 ああ
見れば竜田の
川は錦だ

いいようのない寂寥感を歌う

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エピソード
良暹法師の他作品にも自らの境遇を歌った作品があり、隠棲の生活から生まれたものであるとされる。

“哀愁”の名手

出生などの経歴は謎だが、比叡山の別当(寺の代表)を務める。その後は大原に隠棲、晩年は雲林院(京都の寺)にいたとされている。

◆享年:
65歳ごろ
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
不明
◆作品:
私撰集(現存せず)
◆勅撰和歌数:
1首
良暹法師

82

ふじわらあつより

藤原敦頼

どういんほうし

(道因法師)

思ひわび
さても命は あるものを
憂きに堪へぬは
涙なりけり

苦悩して
それでも生きては いるけれど
辛さで出るのは
涙なんだな

悲恋に対して耐え切れる命とそうでない涙を歌う

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エピソード
晩年に読んだ歌とされる。歳を重ねて増す人生の憂愁さと 恋の矛盾を吐露する作風は別の作品にも現れている。

“下手の横好き”歌人

馬の飼育、調教訓練をする右馬助の五位の官人だったが晩年に出家、比叡山に住む。歌を作ることに対する執着の強い人とされているものの才能の有無は微妙であったとされている。好きであっても実際の実力が伴わなかったとされる。

◆享年:
92歳
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
82歳
◆作品:
なし
◆勅撰和歌数:
41首
藤原敦頼

85

しゅんえほうし

俊恵法師

夜もすがら
もの思ふ頃は 明けやらで
ねやのひまさへ
つれなかりけり

一晩中
悶える夜は 暗いまま
ベッドの向こうに
無情があるが

明けない夜を意地悪な人と揶揄して歌う

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エピソード
歌合に参加する友の代わりに代作した説が有力とされる。

常識破りの歌僧

源俊頼(74番)、祖父に源経信(71番)を持つ歌人一家。17歳で父と死別し、出家を経て東大寺の僧となる。現在伝わる作者の歌の多くが40歳以降であることから、大器晩成型の歌人といえる。自宅に和歌の腕を磨くためのコミュニティ「歌林苑」を作る。

◆享年:
不明
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
17歳
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
84首
俊恵法師

86

さとうのりきよ

佐藤義清

さいぎょうほうし

(西行法師)

なげけとて
月やはものを 思はする
かこち顔なる
わが涙かな

「泣けとでも
言うのか月は」と思っちゃう
文句の多い
俺の涙さ

月を見上げて逢えない人を恋しく思う一句

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エピソード
「月前の恋」という題に対して読まれた歌。

放浪の歌僧

鳥羽上皇の時代、上級官人、北面の武士として活躍したが突然出家する。一説によると妻子を振り払いっての出家だった。仏門修行をしながら諸国を旅した伝説のカリスマ漂泊歌人。後鳥羽院(99番)も西行を天才と評する。

◆享年:
72歳
◆特色:
放浪の僧侶
◆出家時の年齢:
23歳
◆作品:
家集、「西行物語」他
◆勅撰和歌数:
265首
佐藤義清

87

ふじわらのいえさだ

藤原定長

じゃくれんほうし

(寂蓮法師)

むらさめの
露もまだひぬ まきの葉に
霧立のぼる
秋の夕暮

村雨の
梅雨も乾かぬ 真木の葉に
霧たち上る
秋の夕暮れ

にわか雨の後のしめやかさを歌った一句

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エピソード
異母兄弟の定家(97番)が成立させた情感表現が定長の作風の根っこに染み付いている一句。

僧侶家系の風来法師

僧である父を持ち、叔父(俊成)の養子になったが30代半ばに定家(97番)に後継を譲り、歌の寄人となり精力的に活動。全国も渡り歩いたタフな僧侶。

◆享年:
63歳
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
30歳前後
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
117首
藤原定長

95

じえん

慈円

さきのだいそうじょうじえん

(前大僧正慈円)

おほけなく
うき世の民に おほふかな
わが立つ杣に
墨染の袖

だいそれて
世の人のため 頑張るよ
いま叡山で
修行始めだ!

苦しむ民を救わんとする覚悟を歌う

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エピソード
30歳前後で読まれたとされている。
エリート街道をひた走る前の若輩者だった時分だ。

比叡山のトップ

関白の息子として生まれ、他の僧と比べても生まれついての身分は高かった。慈円を頼りにした兄は乱世の時代をリードした大物。家柄も本人の才も性格も否の打ちどころがなく、比叡山延暦寺のトップを4度も務める仏門界の中でもエリートオブエリート。

◆享年:
70歳
◆特色:
お勤め僧侶
◆出家時の年齢:
不明
◆作品:
家集、初の歴史書「愚管抄」
◆勅撰和歌数:
269首
慈円