歌人プロフィール
女官
女房とも呼ばれる。男性の菅人と同様、宮廷に仕える才ある女性のことを差す。女官になるには家族、特に父親の身分で決まる
- 9 小野小町
- 19 伊勢
- 38 右近
- 56 和泉式部
- 57 紫式部
- 58 藤原賢子
- 59 赤染衛門
- 60 小式部内侍
- 61 伊勢大輔
- 62 清少納言
- 65 相模
- 67 平仲子
- 72 一宮紀伊
- 80 待賢門院堀河
- 88 皇嘉門院別当
- 90 皇嘉門院別当
- 92 二条院讃岐
9
小野小町
花の色は
うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに
花のいろは
変わっちゃったわ だらだらと
ひとりぼんやり
してる間に
散りゆく桜と我が身の衰えを重ねた一句
エピソード
単に若かった頃は、と嘆いている。歌の内容から歳を重ねての作品とされている。
代表的女流歌人
平安時代を代表する女流歌人。(当時の時代の)絶世の美女と噂されるほどの美貌を持った才色兼備。18首と、和歌数そのものは少ないが、6歌仙と36歌仙の2つに名を連ねているのは小野小町を含めた二人のみ。その希少さに知的で謎も深いとされている人物。
- ◆享年:
- 58歳
- ◆役割:
- 更衣
- ◆主人:
- 仁明天皇
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 17首
19
伊勢
難波潟
みじかき芦の ふしの間も
あはでこの世を
過ぐしてよとや
難波方
短い葦の 節の間も
逢わずにこのまま
いろって言うの?
わずかな時間すら会えない不満を半ば逆ギレ気味に歌う
エピソード
初恋の相手、仲平と付き合っている際に伊勢の心変わりの不安に対して返した歌。
天皇に愛された博識女官
中宮温子に仕えた、恋多き一流歌人。伊勢の名前は父親が伊勢の地方長官だったところから取られている。温子 (上司)の兄・仲平と身分違いの恋・失恋をしている。皇族とも恋仲になるばかりか、時の天皇、宇多天皇までも虜にしたほどの器の持ち主。
- ◆享年:
- 66歳
- ◆役割:
- 御息所
- ◆主人:
- 宇多天皇の中宮温子
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 176首
38
右近
忘らるる
身をば思はず 誓ひてし
人の命の
惜しくもあるかな
忘られることも思わず
誓ったわ
あなたが無事で
いるといいわね
去っていった男への皮肉か、女心の一途さか。解釈によって変化する一句
エピソード
藤原敦忠(43番)に送った歌とされている
平安のプレイガール
右近少将藤原季縄(五位官人)の娘。天徳4(960)年の内裏歌合などに出て活躍し、歌才を謳う。当時のプレイガールであり、元良親王(20番),藤原敦忠(43番),藤原朝忠(44番)と付き合っていたとされる。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 醍醐天皇の中宮穏子
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- 3首
56
和泉式部
あらざらむ
この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの
逢ふこともがな
不確かな
あの世に行っての 思い出に
もう一度だけ
逢ってみたいの
エピソード
死の床についた時に、走馬灯のように付き合っていた人の顔が浮かび、その心残りを歌に託し男の元に送ったとされる。
小悪魔系女子
藤原道長に「浮かれ女(小悪魔系女子)」と揶揄われるほど恋愛遍歴が派手な女性。結果として家庭崩壊する不倫、身分違いによる離婚、親からの勘当と恋愛による試練を多々経験し、多くの作品に活かしている。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 一条天皇の中宮彰子
- ◆作品:
- 日記「和泉式部日記」
- ◆勅撰和歌数:
- 246首
57
紫式部
巡りあひて
見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし
夜半の月かな
めぐり逢い
逢ったと思えば そのままに
雲に隠れた
夜半の月だわ
久々の友人との再会が慌ただしく終わった寂しさを歌う
エピソード
幼馴染の友達に読んだ歌とされる
『源氏物語』
言わずと知れた、平安時代を代表する作家、歌人。有名な源氏物語は彼女の代表作。幼少より聡明と評判で、男兄弟よりも漢文を読みこなせた。時代が違うが清少納言(62番)をよく思っていなかったようで、自分の日記に、「才能をひけらかす高飛車なやつ」と書いている。
- ◆享年:
- 43歳
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 一条天皇の中宮温子
- ◆作品:
- 家集、小説「源氏物語」他
- ◆勅撰和歌数:
- 51首
58
藤原賢子
(大弐三位)
有馬山
猪名のささ原 風吹けば
いでそよ人を
わす忘れやはする
有馬山
猪名の笹原 風吹けば
ささっとあなたを
思い出すのよ
男の言い訳を軽やかに受け返した一句
エピソード
訪れが減ってきた男の言い訳の歌に対しての返答歌
天皇の乳母
母親の紫式部とともに宮廷に出仕する。馴染めなかった母とは違い社交的で多くの貴公子との恋を楽しんだとされている。恋愛は2回の結婚をし、仕事では母と同じ一条院彰子に仕えたのちに後冷泉天皇の乳母にも抜擢されて出世したバリバリのキャリウーマン。
- ◆享年:
- 83歳
- ◆役割:
- 典侍 (乳母)
- ◆主人:
- 中宮彰子→御冷泉天皇
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 37首
59
赤染衛門
やすらはで
寝なましものを 小夜更けて
傾くまでの
月を見しかな
落ち着いて
眠れるはずが もう夜中
傾く月を
見てるかなしさ
一晩待たされた女性の恨み
エピソード
妹のための代作として読まれたとされる。
良き妻 良き母
平兼盛(40番)が本当の父親説があるが母親の浮気で拗れており、お蔵入りとなったスキャンダル状態。才能はあるが性格は至って寛容で社交的。
- ◆享年:
- 85歳
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 鷹司殿倫子→中宮彰子
- ◆作品:
- 家集、歴史小説「栄花物語」
- ◆勅撰和歌数:
- 93首
60
小式部内侍
大江山
いく野の道の 遠ければ
まだふみも 見ず
天の橋立
大江山
生野は道が 遠いので
まだ頼りない
天の橋立
訪れたことが無いとを述べる歌だが言外の抗議が背景に込められている
エピソード
定頼(64番)の「二世」からかいにに対して歌った返歌。
「大きなお世話です。」の意味も含め、実力で黙らせた。
母似の才能
出産が原因で20代の若さで急逝。母親より先に逝ってしまったため、母親の和泉式部の悲しみは歌として遺されており、子を失った母親としての悲しみは相当なものだったとされている。
- ◆享年:
- 25歳最前後
- ◆役割:
- 掌侍(女官長)
- ◆主人:
- 一条天皇の中宮温子
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- 1首
61
伊勢大輔
いにしへの
奈良の都の 八重桜
今日九重に
匂ひぬるかな
大昔
奈良は都で 八重桜
今は宮中
ここに咲いてる
献上品の八重桜を見て、天皇への敬愛を歌う
エピソード
八重桜が献上された時に、本来歌うはずだった 紫式部の代わりに即興で歌うはめになった作品。
社交的な 期待の新人
代々神官の家系で、名前の由来は父親が伊勢の祭主だったことから付けられた。意図的か偶然かは定かではないが、紫式部の代わりにこの歌を歌う大役を務め、一躍歌人としての名声を確かなものにした。晩年は白河天皇の養育をする。
- ◆享年:
- 71歳
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 一条天皇の中宮彰子
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 32首
62
清少納言
夜をこめて
鳥のそら音は はかるとも
世に逢坂の
関はゆるさじ
一晩中
鶏の嘘泣き 仕掛けても
だめ
逢坂の関はだめなの
思わせぶりな男友達の手紙をやり込める
エピソード
藤原行成の逢瀬に来なかった言い訳めいた歌に対して中国の故事を折り込んで返した粋な歌。
「枕草子」
紫式部同様、古典文学史の中でも指折りの有名人。博識で漢字の教養もあった才能豊かな女流作家。その才能を周囲に隠さずにいたとしている。そのことを紫式部は自分の書籍内にて痛烈に批判している(ただし、時代的に直接の接点はない。)
- ◆享年:
- 不明
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 一条天皇の皇后中宮定子
- ◆作品:
- 家集、随筆「枕草子」
- ◆勅撰和歌数:
- 15首
65
相模
恨みわび
ほさぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ
名こそ惜しけれ
恨み泣き
乾かぬ袖は まだいいの
恋に負けてく
私がやなの
恋しさあまって憎さ百倍を和歌で表現
エピソード
歌合において「恋」のお題から読まれた。
恋愛経験豊富
一条天皇の第一皇女・脩子内親王に仕えた後にも、後朱雀天皇の皇女・裕子内親王に仕えている。バツ2。相模の名前はこの2人目の夫の任地が相模だったため、この名前で呼ばれるようになったという。その頃には藤原定頼(64番)との恋愛が記録にある。
- ◆享年:
- 80歳
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 一条天皇娘の脩子内親王
- ◆作品:
- 家集4作品を遺す
- ◆勅撰和歌数:
- 108首
67
平仲子
(周防内侍)
春の夜の
夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ
名こそ惜しけれ
春の夜の
春の夜の 夢みたいだわ 腕枕
それで噂に
なったらごめんね
男の思わせぶりな言動をウィットに返した一句
エピソード
ガールズトーク中に読まれた歌とされる。枕が欲しいと平仲子が言ったのを耳にした藤原忠家が差し出した腕枕に返歌した和歌。
四天皇に仕えた才女
下級官人の家に生まれたが、御冷泉天皇・後三条天皇・白川天皇・堀川天皇の4人の天皇に務めたとされている。歌合にも参加し 公家、殿上人との贈答歌も遺しているが、晩年に出家したのち、病でこの世を去る。
- ◆享年:
- 71歳
- ◆役割:
- 掌侍(女官長)
- ◆主人:
- 後冷泉:後三条:白河:堀河天皇
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 36首
72
一宮紀伊
(祐子内親王家紀伊)
音にきく
高師の浜の あだ波は
かけじや袖の
濡れもこそすれ
名に高い
高師の浜の 暴れ波
いやだわ 寄ったら
袖が濡れるわ
遊び好きな男の誘惑をバッサリ拒む
エピソード
堀川院歌合イベント「艶書合」
俊忠の歌への返歌として歌われている。
晩年まで活躍
母親は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王に仕えた小弁という名前の女官で、紀伊自らも母と同じ祐子内親王家に仕えたとされる。1113年に出家した記録を最後に消息が途絶えており、生没年は明らかにされていない。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 後朱雀天皇娘の裕子内親王
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 31首
80
待賢門院堀河
ながからむ
心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は
ものをこそ思へ
長続きさせると言うけれど
今朝の髪
ほつれて私は
ああ ものおもい
逢瀬のひと時を匂わせて引き止める一句
エピソード
逢瀬の翌朝送られた甘い和歌に対する返歌。その言葉をどこまで信用していいのか計りかねている気持ちを送る。
出家した不遇の女官
鳥羽天皇の皇后、中宮待賢門璋子に仕えたことからなづけられた名前。璋子の子である崇徳院(77番)は政略的に天皇を退位させられる。立場を無くした母親の璋子の出家のあおりを食い、堀川自身も出家することになる。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 崇徳院母の待賢門院
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 60首
88
皇嘉門院別当
難波江の
芦のかりねの 一夜ゆゑ
身をつくしてや
恋ひわたるべき
難波江の
葦の刈り根の 一節でも
この身を尽くして
恋して行くの?
行きずりの恋を技巧を尽くして歌った一句
エピソード
腹違いの弟が主催した歌合の場で、「旅宿に会う恋」という題で詠んだ歌とされている。
キャリアウーマン
藤原忠通(76番)の娘として生まれ、女性の官庁として宮廷に出仕していたキャリアウーマン。皇嘉門院の異母弟の歌会にしばしば参加したとされている。後に出家して尼になったと伝えられている。
- ◆享年:
- 70歳前後
- ◆役割:
- 別当(宮廷のマネージャー)
- ◆主人:
- 崇徳院皇后(皇嘉門院)聖子
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 1首
90
殷富門院大輔
見せばやな
雄島のあまの 袖だにも
濡れにぞ濡れし
色は変はらず
見せたいわ
雄島の海人の 袖ならね
どんなに濡れても
色はそのまま
辛すぎる恋を血の涙で表す
エピソード
源重之(48番)の歌に感銘を受けそれを参考に詠んだ。さらにその和歌は時を超えた返歌としている。
鴨長明も絶賛
歌読み上手で読んだ歌の多さが他の歌人たちを圧倒したことから「千首大輔」と呼ばれたそう。鎌倉幕府の成立した1192年、仕えた殷富門と共に61歳に出家をし、残り10年の余生を尼として生きた。
- ◆享年:
- 70歳
- ◆役割:
- 女官
- ◆主人:
- 後白河天皇娘の亮子内親王
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 60首