歌人プロフィール
官人 五位
政治家としてではなく、和歌に心血を注いだという人が多くいる位。しかし実際は約9位まであるため優秀な官位である。
5
猿丸太夫
奥山に
紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ
秋は悲しき
山で
黄葉を踏んで 鳴く鹿の
声聞いちゃうと
秋は悲しい
秋の風情を鹿の鳴き声で表す
エピソード
「古今集」に乗せられた作者不明の歌とされていたが、藤原公任(55番)の秀歌撰以来猿丸大夫の作品とされる。
謎の聖歌人
様々な逸話がある、とにかく謎の人物。京都で土器を売り歩いていたり、歌が上手いことから朝廷に召し出されて大夫となったり、仙人だった伝説もあり。また、各地に墓が残っていることも猿丸大夫の奇妙さの一つである。第五位の位は名前に大夫がついていることから。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 不明
- ◆役割:
- 不明
- ◆作品:
- なし
- ◆勅撰和歌数:
- 1首
7
安倍仲麿
天の原
ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に
出でし月かも
大空を
あおいで見れば 春日の地
三笠の山に
出た月がある
日本への望郷の念を込めて歌う
エピソード
唐にわたって35年。顛末は叶わなかったが日本に帰ることとなり、その送別会の夜に詠んだとされている。
異国に渡った 冒険家
奈良時代の遣唐留学生であり、百人一首の中では唯一海外に渡った人。19歳で海を渡り、当時の唐の最高難関試験にも合格するクレバーなタフガイだが、海外赴任を終えて帰国することになっても船の難破で帰国できず、そのまま日本の地を踏むことなく一生を終える。
- ◆享年:
- 69歳
- ◆役職:
- 不明
- ◆役割:
- 留学生
- ◆作品:
- 家集、日記「蜻蛉日記」
- ◆勅撰和歌数:
- 3首
23
大江千里
月見れば
ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身ひとつの
秋にはあらねど
月見れば
なんだかいろいろ 考えちゃう
みんなのところに
秋は来るけど
漢詩をベースに、秋の月の風情を歌で表現する
エピソード
本歌取りではないが、中国の歌・漢詩を参考に翻案したものとされている。
漢詩も詳しい学者
大江氏は代々漢学者の血筋で、作者も例に漏れず父の跡を継ぎ儒学者となった。漢学を基本とした和歌を得意としていて、本人が選んだとしている『句題和歌』も漢詩を翻訳し、それをまとめたもの。在原業平•行平兄弟(16•17番)の甥っ子でもある。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 式部権大輔
- ◆役割:
- 文官の人事
- ◆作品:
- 句題和歌(漢詩の翻訳書)
- ◆勅撰和歌数:
- 25首
30
壬生忠岑
有明の
つれなく見えし 別れより
暁ばかり
うきものはなし
有明が
つれなく見えた あの日から
夜明けがいちばん
つらくなったよ
解釈によって変わる、和歌の醍醐味が盛り込まれた歌
エピソード
解釈が分かれる歌。一つは女のところへ会いに行ってフラれた体験を元にしている説もある。
二流官人 一流歌人
出世はなかったが、和歌の作風はこの百人一首を定家(97番)や家隆(98番)からのお墨付き。拾遺和歌集の和歌集の巻頭歌にも抜擢されている実力の持ち主。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 右衛門府生
- ◆役割:
- 警備、治安維持
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 81首
31
坂上是則
朝ぼらけ
有明の月と 見るまでに
吉野の里に
ふれる白雪
朝が来て
朝が来て有明の月と 見えるほど
吉野の里に
白雪が降る
ぼんやり明るい朝方の白銀世界を叙情たっぷりに表現
エピソード
大和国(奈良県)を訪れた際に、雪が降るのを見て読んだ歌とされる。
蹴鞠の達人
蹴鞠の達人。醍醐天皇御前で206回蹴ったことでも有名。古今集時代の代表的な歌人として知られている。吉野の土地にも関わりが深く、それに関した歌も残している。この歌も吉野に関わる歌である。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 国司
- ◆役割:
- 地方赴任/加賀介
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 39首
35
紀貫之
人はいさ
心も知らず ふるさとは
花ぞむかしの
香ににほひける
人はどう?
わからないけど この場所で
花は変わらず
匂ってるよな
いつの世も移ろいやすい人の心を詠む
エピソード
大和の長谷寺へ産経した際、長らくご無沙汰していた旅先の宿の女主人へ送った。顔を見せないことへの皮肉を粋に返した。
やまと歌は...
- ◆享年:
- 77歳
- ◆役職:
- 木工権頭(木工寮長官)
- ◆役割:
- 宮廷建築
- ◆作品:
- 家集、日記「土佐日記」
- ◆勅撰和歌数:
- 435首
36
清原深養父
夏の夜は
まだよひながら 明けぬるを
雲のいづこに
月やどるらむ
夏の世は
まだ宵なのに 明けちゃった
雲のどっかに
月はあるだろ
明けるのが早い夏の夜を惜しむ一句
エピソード
詳細は明らかではないが、明け方近くに読まれたとする説が有力。
清少納言の曽祖父
清少納言の曽祖父で天武天皇の末の孫。身分が低かったが歌人として知られる。琴の名手で、晩年は京都大原の周辺に住み、補陀落寺と呼ばれる寺を創建したことでも知られている。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 内蔵寮
- ◆役割:
- 皇室の財宝整理
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 41首
40
平兼盛
しのぶれど
色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで
隠しても
顔に出ちゃった 僕の恋
「何かあるの?」と
人が聞くもの
いつの世も変わらない恋する気持ちを歌う
エピソード
村上天皇主催の歌合にて、「恋」のお題で読まれた歌。壬生忠見(41番)との恋歌勝負もここでのことである。
光孝天皇の子孫
村上・冷泉・円融・花山・一条天皇に仕えた、光孝天皇の玄孫。臣籍降下をしていて、赤染衞門(59番)は実の娘でないかともされている。訴えはしたが、実際に認められることはなかったという。
- ◆享年:
- 不明
- ◆役職:
- 国司
- ◆役割:
- 地方官:駿河守
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 90首
42
清原元輔
契りきな
かたみに袖をしぼりつつ
末の松山
波こさじとは
誓ったね
お互い袖を 濡らしてさ
末の松山
沈ませないって
心変わりした女性への複雑な想いを詠む
エピソード
誰かの代わりに作られた、コーストライター的な歌は代作歌という。 この歌も女に袖にされた男に代わって読んだとされる。
即興歌人の多作者
清少納言の父親と呼ばれることが多いが、和歌を作るコミュニティを立ち上げ、その和歌所の寄人(所長)となったり、後撰和歌集の編集にも当たったりと、歌人としては実力のあるひと。
- ◆享年:
- 82歳
- ◆役職:
- 国司
- ◆役割:
- 地方赴任:肥後守
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 106首
48
源重之
風をいたみ
岩うつ波の おのれのみ
砕けてものを
思ふころかな
風が吹く
岩打つ波は 自分だ
砕けて哀れな
僕の心だ
恋の苦しみを波と岩とに例えた、フられた男の玉砕歌
エピソード
一説によると、伊勢(19番)の百人一首に選ばれた和歌を参考にこの歌は作られているとの噂がある。
平安の転勤族
清和天皇のひ孫。東北~九州まで地方官として広く地方官として歴任した。家集に載っている歌は、官職に恵まれず、各地を転々とした体験談をネガティブに歌った物が多い。
- ◆享年:
- 60代
- ◆役職:
- 国司
- ◆役割:
- 地方赴任:筑前権種
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 66首
50
藤原義孝
君がため
惜しからざりし 命さへ
ながくもがなと
思ひけるかな
君のせい
惜しくもなかった 命さえ
長生きしたいと
思っちゃったよ
刹那の恋から永園の愛への変化を歌う
エピソード
恋人と会ったのちに読んだとされている。これは仕事のため女の家から離れる事になる平安時代の官人の習慣からくる歌。
薄命の美男
藤原伊尹(45番)の3男。生まれながらに地位があり、容姿 端麗、和歌も得意であったことなど、女性の間でも人気の的。しかし本人には出家を考えるほど強い信仰心の持ち主だったとされる。美男薄明という言葉通り、天然痘により若くして亡くなってしまう。
- ◆享年:
- 20歳
- ◆役職:
- 侍従/兵衛府
- ◆役割:
- 天皇の雑務、治安維持
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 12首
75
藤原基俊
契りおきし
させもが露を 命にて
あはれ今年の
秋も去ぬめり
約束の
「させも」の言葉を 頼っても
あーあ今年の
秋も終わりだ
コネでも子供が出世できなくて・・・ため息の一句
エピソード
基俊→藤原忠通に送ったとされる。息子の出世を忠通も約束したが、結局その約束が果たされなかったことがこの歌の背景にある。
院政期の歌界のリーダー
源俊頼(74番)と共に院政期の歌壇の指導者として活躍した、当時の和歌の世界のアイコン的存在で書家でもある。晩年に出家した。
- ◆享年:
- 82歳
- ◆役職:
- 左衛門府
- ◆役割:
- 宮廷内の警備
- ◆作品:
- 家集
- ◆勅撰和歌数:
- 約100首