歌人プロフィール

官人 二位

右大臣、左大臣、内大臣などの役職が与えられた人々が二位となる。出生時の家柄、上司からの愛され力も試される。

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すがわらみちざね

菅原道真

すがけ

(菅家)

この度は
幣もとりあえず 手向山
紅葉のにしき
神のまにまに

この度は
幣を忘れて 手向山
紅葉の錦で
どうかご容赦

美しい紅葉を神への捧げ物にと歌った

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エピソード
宇多上皇が宮滝(現在の奈良県)への外出に 同行した際、催された歌会で詠まれた。

学問の神様

学者の家に生まれ、幼少より才能を発揮。時を経て政治家、漢学者として多方面にわたって活躍するも、太宰府に左遷となる。失意のままその地で亡くなった。都で不審死が相次ぎ、道長の霊を慰めるため祀られるようになる。

◆享年:
58歳
◆役職:
右大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
家集 他
◆勅撰和歌数:
35首
菅原道真

25

ふじわらのさだかた

藤原定方

さんじょううだいじん

(三条右大臣)

名にしおはば
逢坂山の さねかづら
人に知られで
くるよしもがな

いい名だね
「逢坂山のさねかづら」
それならこっそり
やって来ようか

人知れず逢える手立てを願う口説き歌

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エピソード
当時恋愛関係にあった相手へサネカズラを添えて送った口説き歌

管弦も嗜むエリート

醍醐天皇の外叔父で、上級官人である二位にまで上り詰めるが、あまり政治家としての野心はなかったようで、和歌や管弦の方に情熱を燃やしていた。

◆享年:
59歳
◆役職:
右大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
なし
◆勅撰和歌数:
13首
藤原定方

45

ふじわらこれまさ

藤原伊尹

けんとくこう

(謙徳公)

あはれとも
いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに
なりぬべきかな

「どうした?」と
聞く人なんか 居てくれない
このままむなしく
死んじまうの

絶望感漂う失恋の歌

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エピソード
その当時恋愛関係にあった相手がつれなくなってしまった時送ったとされる。

才色兼備の貴公子

後撰和歌集の制作者の一人。和歌を作りあうコミュニティの場「和歌所」の長官としても活動。節約家だった父に対し、派手好き。寝殿の壁を高価な和紙に変えたともされる。自身も息子も早世家系。

◆享年:
48歳
◆役職:
右大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
家集、日記「蜻蛉日記」
◆勅撰和歌数:
38首
藤原伊尹

55

ふじわらのきんとう

藤原公任

ごんちゅうなごんあつただ

(大納言公任)

滝の音は
絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて
なほ聞えけれ

水音は
止んでずいぶん たつけれど
滝の名前は
まだ鳴り響く

かつての壮麗な景色に思いを馳せた一句

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エピソード
京都の佐賀にある大覚寺の滝殿を訪れた際、「古き滝」のお題に合わせて詠んだ。

平安の知識人

醍醐天皇の外叔父で、上級官人である二位にまで上り詰めるが、あまり政治家としての野心はなかったようで、和歌や管弦の方に情熱を燃やしていた。

◆享年:
75歳
◆役職:
右大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
なし
◆勅撰和歌数:
88首
藤原公任

64

ふじわらのさだより

藤原定頼

ごんちゅうなごんさだより

(権中納言定頼)

朝ぼらけ
宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる
瀬々の網代木

朝が来て
宇治の川霧 薄らいで
現れて来る
川の網代木

冬の朝の情景や空気感を丁寧に描写した一句

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エピソード
網代は当時も貴族のリゾート地として有名であり、様々な歌人がこの地を訪れ、作品内で語っている。

容姿端麗な貴公子

ている。

◆享年:
50歳
◆役職:
権中納言
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
45首
藤原定頼

71

みなもとのつねのぶ

源経信

だいなごんつねのぶ

(大納言経信)

夕されば
門田の稲葉 おとづれて
芦のまろやに
秋風ぞ吹く

日暮れれば
門田の稲穂 さわさわと
葦の屋根にも
秋風が吹く

秋のわびしさの余韻が残る感覚豊かな一句

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エピソード
歌合の歌会にて「田家の秋風」というお題に合わせて詠まれた。

多彩なエリート

歌人・歌合の判者として長く活躍した。景色を描写する歌である叙景歌の世界を切り開いたパイオニアとされる。政治家や和歌としての実力はもちろん、管弦にも有職(※)にも通じる多才なエリート。

◆享年:
81歳
◆役職:
大納言
◆役割:
政務官、大臣の代替
◆作品:
日記『帥記」
◆勅撰和歌数:
87首
源経信

73

おおえまさふさ

大江匡房

ごんちゅうなごんまさふさ

(権中納言匡房)

高砂の
尾の上の桜 咲きにけり
外山の霞
たたずもあらなむ

遠山の
峰の桜が 咲いたんだ
手前の山の
霞なびくな

遠い山の桜に思いを馳せた一句

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エピソード
藤原師通主催酒宴での歌合で「遥かに山桜を眺望する」のお題で詠まれた。

神童

学問に秀でた一族とされる大江家。そのなかでも匡房は殊更天才と言われた漢学者。幼少の頃よりその才能の片鱗を見せ、詩歌、漢学、軍事など幅広い知識を持ち、異例の出世をし、天皇の教育者にまでのぼり詰める。

◆享年:
70歳
◆役職:
権中納言
◆役割:
大臣の補佐
◆作品:
洛陽田楽記、本朝神仙伝
◆勅撰和歌数:
114首
大江匡房

81

ふじわらのさねただ

藤原実定

ごとくだいじのさだいじん

(後徳大寺左大臣)

ほととぎす
鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明の
月ぞのこれる

ほととぎす
鳴いてた方を 眺めれば
ただ有明の
月があるだけ

聴覚、視覚へと関心を移動させる一句

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エピソード
歌合との明記はないが、「暁にほととぎすを聞く」という題で読まれている。

幸薄関白

百人一首の生みの親、藤原定家藤原定家(97番)のいとこで、文化人としても政治家としても活躍した世渡り上手。和歌も多くの作品を残しており、この百人一首に選ばれた和歌をはじめ、ほととぎすを詠んだ歌が多く残る。

◆享年:
52歳
◆役職:
左大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
家集、「和漢検索集」
◆勅撰和歌数:
73首
藤原実定

93

みなもとのさねとも

源実朝

かまくらうだいじん

(鎌倉右大臣)

世の中は
常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の
綱手かなしも

世の中が
このままならなあ しっかりと
渚に小舟が
引かれて行くよ

日常風景に潜む悲壮感を表現している

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エピソード
万葉集の陸奥歌からインスパイアされた一首。その歌は詠み人知らずとされているが、地元の人の説が有力。

暗殺された初の武士大臣

鎌倉幕府を作った源頼朝の次男にして13歳の時に鎌倉幕府3征夷大将軍になった。温和な性格で京都の貴族文化に憧れを持っていた和歌に対しても熱心で藤原定家 (97番)に指導を仰いだ。甥に暗殺され若くして亡くなる。

◆享年:
27歳
◆役職:
右大臣
◆役割:
業務取締、政治統治
◆作品:
家集
◆勅撰和歌数:
92首
源実朝

97

ふじわらのさだいえ

藤原定家

ごんちゅうなごんさだいえ

(権中納言定家)

来ぬ人を
まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩の
身もこがれつつ

来ぬ人を
松帆の裏は 夕凪ね
藻塩を焼くわ
私もジリジリ

海の乙女の身を焦がすほどの切ない恋を詠む

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エピソード
定家が出家する前、55歳の時に詠んだ歌。万葉集に乗っている長唄にインスパイアされて詠んだ。

百人一首の生みの親

この百人一首の編集者。日本の代表的な歌道の師として永く仰がれる。2つの勅撰和歌集の編集に携わり、歌集をはじめとする他の歌人と類を見ない多くの作品を残す。百人一首は定家の好みで自由に選んだものとされるため、種類には偏りがある。

◆享年:
80歳
◆役職:
権中納言
◆役割:
大臣の補佐
◆作品:
家集、日記「明月記」他
◆勅撰和歌数:
41首
藤原定家

98

ふじわらのいえたか

藤原家隆

じゅうにいいえたか

(従二位家隆)

風そよぐ
ならの小川の 夕暮は
みそぎぞ夏の
しるしなりける

風そよぐ
御手洗川の 夕暮れだ
禊は夏の
しるしだったなあ

晩秋の紅葉を詠んだ「美しい音の響き合い」

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エピソード
九条道家の娘•峻子の入内の際の歌集、「寛喜元年女御入内屏風和歌」のひとつ。

定家のライバル

百人一首の生みの親、定家(97番)とライバル視されている。兼家(27番)の末裔。晩年にて出家し、四天王寺に入る。後鳥羽院の時代の代表的な歌人で、寂蓮法師(じゃくれんほうし)の家に婿として入り、藤原俊成に歌を学ぶ。

◆享年:
79歳
◆役職:
宮内卿
◆役割:
庶務、財産管理
◆作品:
歌集「壬生集」
◆勅撰和歌数:
281首
藤原家隆